Mr.アルバトロス→英語な理1担任、なんかかわいいというかお茶目というか、二児の子煩悩すぎるパパン
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朝もはよから以下略。
昨夜は奈須きのこ氏の『空の境界(上)』を読んでて忘れてた日記です。
また別にこれは語りますよ、中巻読んでからになりそうですがっ。


つーわけで倫理語りその一。
この記事は、五日後の模試にて倫理を使うものの、『範囲:全て』というありえない事態に立ち向かうためのものです。
うん、授業ではぜんぜんおわっちゃいないんだ、だから自力でやるの。
担当の師匠も、

「前々から倫理選ぶって決めてたみたいだから、参考書買って自力でやるのもいいかも」

ってことで、Z会さんの『解決!センター倫理』でがんばることに。
『解決!』は以前からセンター生物を使ってたんで、慣れてはいるのですが…。
更にこのシリーズ! と決めたのは、むしろ倫理の中身が、その、可愛い。
イラストがかわゆいのです、そして思想家や関係者の似顔絵が…写真参照。
アルバトロスに似てますか、ああ、似てませんか、そうですか。
とりあえずまずは『西洋思想』に関し、思ったことでも。

まずは、私的にこいつすげえ! と思った人たち。

パスカル[モラリスト]→『人間は考える葦である』
デカルト[大陸合理論]→『我思う故に我在り』『演繹法』『方法的懐疑』
カント[ドイツ観念論]→『理論/実践理性』『仮/定言命法』『人格主義』『永久平和のために』
ニーチェ[実存主義]→『神は死んだ』『超人』『永劫回帰』『運命愛』
デューイ[プラグマティズム]→『道具主義』『創造的知性』

ぜえはあぜえはあ。
特にカントとニーチェはすさまじすぎる。
どちらかといえばニーチェはなんなんだあんた。
発狂死するのもわからなくはない気がするのです。

神からの、無差別の愛による弱者の正当化、文明の廃退、ニヒリズムの元凶、それがキリスト教。
それこそカルヴァンの唱えた『予定』により、人は唯の、神の手による操り人形。
だから、神は死んだ。死んだことにしよう、否、死んだ。
死んだからには、我々は自らの意志で、力への意志で、この手足を動かさねばならない。
どんなに苦しくとも、絶望的であっても、状況を受け入れて強く生きていく。
その理想が、人を超えた、超人の在り方。
…この考え方は、あの宗教改革の視点から見れば、ものすごいものだったんじゃないかなと思います。
いや、それ以前のキリスト教の広がり方からして、いきなり『神は死んだ』だもんな。
ちゃぶ台返しの更に畳までついてきましたみたいな、凄まじい、革命めいた考えのような。
でも私的には、まだろくに深くも知らないし勘違いしてるかもしれませんが、好きです、この考え。

まあ、数日前にこんなことほざいてましたが、私の中での意識上での『神』。
人間より高次の存在はいると思うわけです。
それが例えば天使だったり使徒だったりする分にはまだいいとして、でもどちらかといえばですが。
高次の存在は、我々なんか気にしない、例えるならばクトゥルフの邪神達のように。
そのくびきの下で、暮らしているのが我々。
操られてここにいるとしても、意志だと言い張る意識を有した存在。
あれです、サンホラのクロセカのルキア達。クロセカ的世界が色々と近いかな。
ただ、終焉に向かってるなりなんなりがわかる『黒の預言書』的立場のものはないですが。

…話がズレた。ファンタジーめいていながらも、これは数式に対するささやかな反抗です(下がるぞ)。
あとはカントですか、この人はひたすら『定言命法/仮言命法』ですね。
善悪の判断のお話です、はい、なんか好きそうだなオーラを感知した方も多いはず。
私が感銘を受けて、かつ、こういった考えの世界に一歩深くのめった言葉がありまして。

『この世に悪があるとすれば、それは人の心だ』 (テイルズ・オブ・ファンタジア)

この意味をろくに考えずゲームをはじめ、しかしぶち当たったわけなのですが。
テイルズはいつも、仮面さんの言葉を借りるならば、綺麗な「リピートと対比」で物語が進んでいきまして。
で、この場合の大きな対比はクレス達(星古来の人間)と、魔王ダオス(デリス・カーラーンという違う星の人間)。
リピートは、クレス達とダオスの衝突。序盤はそれこそただの衝突。
終盤でようやく(世界樹イベントとか)、その裏にある『自分の世界を守る』という目的が見え隠れしはじめます。

さて、この話の場合、誰が悪なのか?
中盤かなんかでアーチェが「ダオスは悪!」と言うシーンがあったような。
また、クレスやチェスターやミント、それにすずは家族や知り合いをダオス勢力に殺されてますし。
よく考えれば、しがらみがないのはクラースぐらいなのか…? しかし彼にも守るべき人(ミラルド)がいる。
つまり、主人公(プレイヤー)側としては、『ダオスは悪』となるわけです。
しかし、未来で世界樹ユグドラシルを見守るダオスのイベントが発生。
本当に最後の最後まで、ダオスが魔王として君臨した理由が明かされないんですよ。
それこそ、死ぬ(倒される)間際まで。
これをふまえると『ダオスは悪』という考えはあやふやになっていき。

で、私の中のこの些細な決着のつかない、少し気持ち悪い考えに、少し転機を与えてくれたのが『定言命法』。
『結果ではなく動機で善か否かを判断し(動機説)、善意志のみが無条件に善となる』というもの。
こいつに則ると、「母星を救いたい」ダオスも、「魔王の手から世界を救いたい」クレスも、動機では善になり。
だが、そのための手段となると…やばいファンタジアもう一周しようかな、これは考えてみたい。
ダオスは平和的解決を望んでた気がする、けどあれか、大いなる実りとマナの枯渇が絡んでくるのか。
なんだか、環境問題みたいなオチになってしまった。確かに倫理ではあるが…。

パスカルやデカルトは、自分の存在に関する話。
このあたりはまだキリスト教に依拠した考えですが。
なんにせよ中庸、まんなかがいいんだ、って流れがここ。
中道とかいう言葉もありますが、極端にならん方がいいのかな。
とりあえず、強かな存在でありたいです、はい。


とりあえずここまで、次があるとしたら恐らく日本の方にいきますよー。


>>T子たん
いえいえ、新鮮なネタをありがとうございました(笑)。
担任は優しいんだか否なのか…誰か教えてくれー。
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by forWAM | 2007-12-19 10:15 | DAYs --日々徒然
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